文化に集い、
文化を創出する。
不易流行の出発点。
1934年、港区白金台に岐阜の名家・渡辺家の14代当主、甚吉の私邸として建てられた洋館です。日本の住宅の発展に大きく寄与した住宅専門会社の技師として活躍した、遠藤健三と山本拙郎、そして二人の恩師である今和次郎の3人の共作によって、建築当時の日本における住宅建築の最高水準の経験・知見が凝縮された歴史的建造物です。国内では数少ない本格的チューダー様式であり、一時期GHQに接収されたり、外国の大使公邸、結婚式場として利用されましたが大規模な改修はされず、それらの特徴ある装飾を含め当初からの姿がほぼ完全に保たれていたことが特徴です。近年になり一旦は甚吉邸も解体の危機を迎えましたが、建築史関係者らの保存運動や働きかけにより、2022年3月に前田建設工業ICI総合センター内に移築、復原されました。2023年2月27日には取手市初の国登録有形文化財に登録されました。
時代を超える
素材の味と職人の匠の技
食堂は天井のレリーフが特徴的な「山小屋風」の装いで着飾られている。
扉をくぐるたびに楽しさが感じさせてくれるようにそれぞれの部屋で異なる表情を見せてくれている。素材の持ち味を最大限に生かすための匠の技術が随所に施されており、趣の異なる意匠が各部屋の個性を際立たせながら贅沢にあしらわれている。
素材と職人の手仕事を生かした意匠は、中世的な表現を重んじたアーツ・アンド・クラフツの作品に多く見られるものである。
邸内を飾り上げる
「幻のデザイナー」
遠藤健三と山本拙郎は早稲田大学での二人の恩師である今和次郎に甚吉邸の細部装飾を依頼し、今が照明器具やスイッチプレート、ラジエターグリルなどをデザインしたことが残されたスケッチでわかっている。
実作の少ない「幻のデザイナー」と称される今和次郎だが、甚吉邸に残る彼の装飾はその最大級かつ最重要作品といえる。
多様な技術や人々を受け入れ、
常に変化する「余白」の空間。
国産のカラマツとスギの120mm角集成材を主とした一般流通木材を使って、在来工法にて架構を構築し、それらを2階レベルに浮かせることで内部に柱のない大きな吹き抜け空間を実現した。
1階は水平力を負担する鉄筋コンクリートのコアと、直径90mmの極細鉄骨柱によって上部の架構を支持している。また、1階外周の木製引戸は大きく開放することができ、正面の芝生広場や背後の雑木林との一体的な活用を可能としている。空調は床吹き出し方式とすることで、天井にダクトを設置せず、木の架構を強調した。講演会、展示会、ワークショップ等甚吉邸との関連イベントや、周囲の広場・雑木林等の環境を活用した様々な使い方を想定している。
林に浮かび上がる
「ネオ・ハーフティンバー」
既存の雑木林を最大限保全するように木造トラス架構を配置し、その架構を宙に浮かせることによって内外が連続する開放的な空間を創出した。
宙に浮いたボリュームの外装には金属メッシュカーテン、ポリカーボネート板、ガラスカーテンウォールの3つの素材を包囲に応じて使い分けることで、日射の遮蔽や風景の取り込みを図るとともに、外部に対して多彩な表情を生み出している。それぞれの外装材から内部の木の架構が浮かび上がる様子を、甚吉邸のハーフティンバーに呼応した現代版「ネオハーフティンバー」と名付けた。正面ファサードに設けた金属メッシュカーテンは、オペラカーテンのように巻き上げることができ、柔らかく華やかな表情が甚吉邸との調和を生み出している。